自立生活って何?![]()
| 私の考える「自立生活」というのは、一言で言うと『普通の生活』ということです。病院生活は『普通の生活』ではありません。常に『患者』として管理され、自分の意志とは関係なく病院の「規則」と「日課」に縛られて暮らす生活です。そうした中では、自分の『自己決定』や『自己選択』という人間としてごく当たり前のことがごく限られた範囲でしか尊重されません。 私は、そうした『与えられた生活』ではなく、自分の意志ですべて自己判断と決定に基づいて生きられる場で、自分らしく、ごく普通に生活したいだけなのです。『自立生活』という言葉で言うような、特別なものではありません。もちろん、24時間呼吸器を使用して常に介助を必要とする私が、今の不十分な福祉制度のもとで普通に暮らすのは、とても難しいことですが、私はもう病院には戻りたくありません。 たとえ、24時間呼吸器を使用して、医療的なケアが必要な状態であっても、環境がある程度整うならば、地域で普通に暮らしたいと思うのが、ごく自然な気持ちなのです。 私は、そうしたごく自然な気持ちのままに、今の生活を選びました。 |
自立生活の未来に向けて・・・![]()
| 自立生活を開始した当初は、10歳の時に入院して以来、全く実生活の経験がなかっただけに、生活するというのがどういうものなのかよく分からず、毎日手探りの状態でした。食料の買出しについても『何日間で何をどれだけ買っていいのか』見当もつかないし、病院では、『電気・ガス・水道・電話などの光熱費』のことなど、考えたこともなかったので、自分で家計をやりくりすることが、とても難しく感じました。また、自分の家という感覚が当初は実感できず、『掃除・洗濯・調理・洗い物・ゴミだし・・・』といった、生活するうえで、ごく基本的なことでさえ、何をどうすればいいのか分からないわけです。自分の家のことなのだから、当然自分がずべてを把握して介助者に的確な指示を出さなければならないのに、それができないという自立生活以前の課題もありました。 こうした経験を通じて、入院当時の自分はいかにも何もかも人任せにして、暮らしていたかということに気づき、『生活の場所はどこであっても自分の生活スタイルは自分できめる。誰かに与えられた生活でなく、自分の意志で自分の望む生き方を求める。』といった、ごく当たり前のことですが、そういう意識を常にもち続けることの大切さを強く感じています。24時間介助が必要であっても、生活の主体は自分にあり、介助者は私の手足となって私のできない部分を補ってくれるだけです。主体者である『私』がどうしたいのか、どう生きたいのかという意志をはっきり伝えないと、この生活は成立しなくなってしまいます。 現在、1日3交代で介助ローテーションを組んでいて、一応すべて埋まってはいるものの、介助者のうち、ひとりでも病気や急な都合でキャンセルになってしまえば、代わりに入れるような人員は確保できていません。そのためいつ破綻をきたすかわからない、綱渡りのような生活が続いています。介助派遣をしてもらっている「障害者自立センター・つっかいぼう」の協力を得ながら常に介助者の募集ビラ配りや、アルバイト情報誌などへの掲載によって、介助者を確保し続けなければ24時間介助を必要とする私は、今の生活を続けることができません。 また、24時間介助者を確保しつつ日々の生活を維持していくには、経済的な安定が必要です。現在生活保護や障害者年金、重度障害者手当て、支援費などの収入により、生活費をギリギリに切り詰めて少ない介助料を捻出しているわけですが、当初はそのことが実感としてよく分かりませんでした。生活を続ける中で、「今月は食費がいくらで、光熱費がいくらだった」とか、「この部分を節約して減らす」といった家計のやりくりを考えないと暮らしていけないことが分かり、そこから24時間介助が必要な人間にとっては、非常に不十分な今の公的介護制度の改善を行政に訴えることの必要性を身をもって感じるようになりました。 私のような重度の障害をもつ人間が自立して地域で暮らす上において、それを支える社会制度なり介助制度などの基盤が全く不十分な状況の中では、現実的に非常な困難が伴います。ひとりの人間として自立したい、自分が暮らしたい場所で生きたいと願うのは、ごく自然なことで、それを受け入れられるような社会にしていかなければならないと思います。 障害者に関しては、昨年の4月から措置制度から支援費制度に移行し、障害をもつ人自身がサービスを選択できるようになりました。支援費制度の基本的な理念として、利用者の必要に応じて支援量を決定するということがありますが、現実には地域によって非常に大きな格差があります、私は支援費の申請にあたって、24時間介助が必要なことから『24時間介助保障』を要望しましたが、結果的にはその約半分の『一日12.5時間(今年7月からは13.5時間)』しか認められませんでした。しかし、名古屋市や東京都など、一部の自治体などにおいては24時間介助保障が認められたところもあります。地域によってこれほど大きな格差があっては、重度な障害をもつ人が自分の暮らしたい場所で生きることはできません。 自立生活をはじめる前と今とで一番変わったのは、『自分が生活の主体である』ということの実感です。病院生活では生活のことは何も考えなくても、自動的に食事が出てきたり、一日の日課がこなされていくということで、生活自体は受身になる部分が多いと思います。そのため、生活感といいますか、『自分が生活しているという実感』があまりなかったような気がします。これは、人それぞれ自分がどう生きたいのかという価値観の問題で、どちらがよいとか悪いとかということではないのですが。私としては自分が生活の主体であることを強く実感でき、自分のリズムで生きられるようになったという点で、自立生活を始めて、本当によかったと思います。 在宅で一番不安なことはやはり『体調の変化』です。人工呼吸器をつけて退院すること自体リスクは大きいわけで、病院にいるときのような迅速な対応にはならないことを自覚しておく必要はあります。その覚悟がなければ、病院にいればよいという話になってしまいます。もちろん、リスクや不安は少ないに越したことはないので、自分自身が安心してできる体制を作る努力は大切です。幸い自立生活を開始してから、今に至るまで病院に入院するような事態は一度も起きていません。 現在私は、週1回のかかりつけ医の往診、週5回の訪問看護、週2回の訪問入浴サービス、週1回の長良病院受診、訪問歯科診療といった在宅医療を受けています。かかりつけ医の往診では、定期的にカニューレ交換をしていただいています。訪問看護は訪問看護ステーションから、訪問看護師さんが派遣され、かかりつけ医の指示書のもとに、バイタルチェックや煮沸消毒、ガーゼ交換、ネブライザー、吸引、清拭、髭剃りなどをしてもらっています。人工呼吸器は『在宅人工呼吸器管理療法』に定められた保険点数内で長良病院を通じて業者からレンタルしています。また、この保険点数内で吸引カテーテルやガーゼ、注射用液等、医療消耗品の支給も受けています。 私の自立生活は、私を取り巻く多くの人たちに支えられて成り立っているのであり、そのことを常に意識しながら、私自身の意志を的確に伝えることがとても重要なことです。常に私が生活の主体者であり、周囲の人たちは基本的に私のできない部分のサポートをするだけです。自分でできることが自立ではなく、介助者に指示を出して自分のできない部分を補ってもらいつつ、普通に暮らすことが自立であると私は思っています。私は今の生活をこれからも長く続けていきたいと考えていますが、今の社会状況の中では、人工呼吸器を24時間使用する人が地域で普通に暮らすのは、まだ難しいものがあります。24時間介助者の確保が常に必要であり、それを維持し続けるのは至難の技です。 現在、自立生活センター・つっかいぼう介助派遣部門をつうじて、常時ビラ配りやアルバイト雑誌への掲載など、募集活動をしていますが、介助者の多くは学生のため、短期間で入れ替わっていくこともあり、なかなか需要に対して、供給が追いつかないのが現状です。介助者を確保する上では、経済的な基盤が必要不可欠であり、それがなければ、24時間介助が必要な私が自立生活を長く続けることはできません。 現在、岐阜市において、支援費制度を利用する障害児の中では、私の13.5時間の介助保障が最高で、私の場合『生活保護の他人介助料厚生労働大臣承認特別基準額』とあわせて、一日16時間分の介助料が支給されていますが、それ以外の8時間については何の保障もありません。16時間分の介助料をやりくりして、何とか生活を続けている状態です。そのため安い介助料しか支払うことができず、介助者を安定して確保することができないのです。これでは24時間介助を必要とする重度障害者が安心して地域で自立した暮らしをするのは、非常に困難であり、どんなに障害が重くても地域で普通に暮らすためには24時間の公的介護保障の確立が必要不可欠です。 現在、全国各地には多くの障害者自立支援センターがあり、介助者派遣や行政との交渉などの活動を活発に行っています。こうした、障害当事者の地道な活動によって、支援費の時間数が延び、先ほども触れたように、東京や名古屋、その他の自治体では、24時間の介護保障が実現している所もあります。岐阜市に置いては、まだまだ厳しい現状ですが、今後の生活を続けていく中で、行政に粘り強く働きかけ、24時間介護保障の実現を目指していきたいと思っています。こうした努力をしていくことが、24時間人工呼吸器を使用する状態で、病院を退院し、地域で生きる選択をした私の役割でもあると考えています。 |
その後の経過![]()
| 2005年6月 ・支援費制度による日常生活支援−1日14,5時間、月450時間 ・移動支援−月36時間 ・生活保護費 ・生活保護による他人介助料(大臣承認−月157800円、1日4時間分に相当) ・障害基礎年金−月82508円(今年度の金額、年度によって若干変動あり) ・特別障害者手当−月26440円(今年度の金額、年度によって若干変動あり) ※生活保護費は実質的に障害基礎年金と特別障害者手当の金額を差し引いた額となる 2006年8月 ・支援費制度による日常生活支援−1日19時間、月576時間 ・移動支援−月36時間 ・生活保護費 ・生活保護による他人介助料(大臣承認−月157800円、1日4時間分に相当) ※以下同じ 2006年10月−障害者自立支援法本格施行 ・重度訪問介護−1日20,5時間、月612時間(うち移動加算36時間) 時間単価−基本単価は1600円で7,5%加算 ・生活保護費 ・生活保護による他人介助料(大臣承認−月157800円、1日4時間分に相当) ※以下同じ ※2006年8月より日常生活支援、移動支援、他人介助料を合わせて24時間の公的介助保障となる。2006年10月の障害者自立支援法重度訪問介護に移行後もそのまま維持される。 以上のような経過で現在24時間の公的介助保障が実現するに至っています。このこと自体は一つの成果であり、前進ですが、私に必要な1日25時間(2名必要時を含む)、外出時は2人派遣については認められておらず、必要な時間数が認められているとは言えません。また、時間単価の面では日常生活支援よりも大幅に下がっており、これでは24時間介助保障が認められても実質的には後退していると言えます。今後新たに重度な障害を持つ人が地域で暮らしたいと思った時に、必要な介助保障が認められるよう、より確固としたものにしていかなければいけないと思います。 |