| 先日インターネットでとあるホームページを開いたら「筋ジストロフィー等難病撲滅に向けての○○基金」という字面が目に飛び込んできた。 癌撲滅、エイズ撲滅などと同じような目的の基金なのだろうが、いずれの疾病であれ撲滅という言葉をなぜ使う必要があるのかと疑問に感じる。辞書によると撲滅とは完全になくすこと、根絶やしにすることとある。現在治療法がない末期癌やエイズその他の重い神経難病などの中には今後の医学の進歩で治療することができるものもあるだろうが、その全てを完全に治療することはいかに医学が進歩しようと不可能ではないだろうか。伝染病などのように特定の病原菌を死滅させて根絶やしにするのは撲滅で正しいと思うが、現に今病気や障害と共に生きている人にとって撲滅という言葉は何を連想させるのか。 完全になくすとか根絶やしにするという意味の撲滅という言葉を使うことはそういう人たちの存在を否定することにつながらないだろうか。確かに病気とか障害はないにこしたことはないかもしれないが、人が老化してゆくのが自明の理であれば現実にそれがなくなることはありえないのであり、ある以上はそれを自身の属性として受け入れ、共に生きることになる。病気や障害を治したいという人や家族の気持ちを否定するわけではないが、それを受け入れ、共に生きている人間からすれば撲滅という言葉には自らの存在を否定されているような違和感を感じずにはいられない。病気や障害が治らないことは必ずしも不幸ではなくその人自身の気持ちの問題であって社会や他人から撲滅などと言われる筋合いのものではない。病気や障害を治したいかどうかというのは個人個人の意志が決めることだ。そうした個別性を無視したところで撲滅という患者や障害者を社会から排除するかのような言葉を使うことはいかがなものかと思う。マスコミや医療関係者、篤志家にすれば撲滅という言葉を使うことで社会や一般の人々へのインパクトやアピール性を狙っているのだろうが、この言葉が現実に病気や障害と共に生きている当事者の心を傷つけることに考えが及ばないのだろうか。私個人の感覚として病気や障害はなくすべきものなのか、それがない社会が普通の社会なのか、健康な社会なのかと疑問を感じる。誰もが例外なく年老いれば動けなくなり、障害者となることを考えると病気や障害があってこその社会なのではないのか。病気や障害を受け入れ、その有無に関係なく誰もが暮らしやすい社会を作ることが今を生きる人間にとって治療以上に急務ではないのか。少なくとも現実に病気や障害と共に生きている人々の気持ちを考えれば撲滅という言葉を使うのは甚だ不適切であり、「難病撲滅に向けての○○基金」という文脈で言うのであれば「難病治療に向けての○○基金」と言い換えるのが適当であると思う。 マスコミや医療関係者及び全ての「特定疾病の撲滅を目的とする基金」を主催されている方々にぜひご一考いただきたい。 |