医療の選択について思うこと

 私は5歳の時に進行性筋ジストロフィー症を発症し、10歳の時から31年間病院に入院していた。この間、病状は確実に進行し、23歳の冬に呼吸不全により意識不明の状態に陥った。当時は今のように「鼻マスク人工呼吸器」のような着脱可能な呼吸器はなく、意識不明の状態になれば緊急処置として、鼻か口から管を挿入するか、気管切開して、人工呼吸器をつなぐしか選択の余地はなかった。私は当初、鼻から管を入れて呼吸器をつないでいたが、1年後、自分自身の積極的な選択というより、必要に迫られて気管切開を決断した。筋ジスは20歳前後までしか生きられないと言われていた時代の話である。私より前に人工呼吸器を装着していた仲間のことごとくが、1年もしないうちに次々と亡くなっていくのを見送りながら、次は自分の番かと半ば諦めの気持ちでいたことを思い出す。こうした現実の中で、人工呼吸器をつけることは、私にとって人生が終わったも同然で、このままベッドのうえで、天井を見上げながら無意味に延命されるのかと思ったものだ。

 しかし、私の人生が終わることはなく、その後の日々は決して延命などではなかった。人工呼吸器をつけたことによって、私の体調はすっかり安定し、呼吸器をつける以前と較べて人が変わったかというほど、活動的に生きられるようになった。気管切開して、人工呼吸器をつけたことを本当に良かったと思っている。
 今も多くの医療関係者や、一般の人々は人工呼吸器を『延命装置』もしくは『生命維持装置』というイメージでとらえていることだろう。それは単に人工呼吸器が、末期状態の人のみに使われるものではなく、呼吸を補助してくれるものとして使う人がいるのを知らないだけのことである。私は、人工呼吸器をつけてから、日本各地に出かけている。札幌、仙台、金沢、静岡、大阪などに行き、6年前には、オーストラリアにもいった。現在は、病院を退院して自立生活もしている。これらのことから考えれば、私にとって、人工呼吸器が単なる生命維持装置でないことは誰でもわかるはずである。
 私にとって、人工呼吸器はメガネや杖、補聴器などとなんら変わることのない生活補助用具であると同時に、私の人生や生活の可能性を大きく広げてくれる大切なパートナーなのである。こうしたことを多くの医療関係者や、社会一般の人たちに伝え、人工呼吸器や人工呼吸器使用者に関する正しい知識と理解をもってもらうことが必要である。それによって、人工呼吸器使用者のみならず、どんなに重い障害があっても、地域で普通に暮らすことができるんだという認識につなげていきたいと考えている。

 ところで、私にはもう一つの大切な人生のパートナーがある。それは心臓ペースメーカーである。私が退院を目指して、活動を開始した時期、心臓の調子が悪くなり、緊急処置として、ペースメーカーを埋め込まなければならなくなった。このとき、私はペースメーカーに関する知識が全くなく、何の根拠もないまま、もう退院を諦めるしかないのかと思った。しかし、結果的にはペースメーカーの作用によって、劇的に心臓の調子が安定し、退院する上でのまたとない好材料になった。マイナスになるどころが、もしペースメーカーを入れなければ、こうして今、自立生活をしている自分はいなかったに違いない。そう思うと、気管切開して人工呼吸器をつけるにしろ、ペースメーカーをいれるにしろ、それが自分の体にとって、生活や人生にとって、どういう意味があるのか正しい知識と理解に基づいて選択することが必要だと思う。
 私の場合は、気管切開して、呼吸器をつけることも、ペースメーカーを入れることも、今書いたような理解と、選択に基づいてのものではなく、結果としてベストだったという運の良さによるところが大きい。適切な判断をしてくださる医療者に出会えたことは、非常に幸運であったと思う。しかし、医療者の判断に全て委ねるのではなく、正しい知識と理解に基づいて選択し、計画的に行うことができれば本人にとって、より有意義な結果を得られるのは言うまでもない。ペースメーカーについては、その症状による適性もあると思うが、いずれにしても医療者からきちんとした説明を受け、その上で本人が正しい知識と理解に基づいて選択できることが大切だと思う。医療者は単に治療としてではなく、その処置をすることが本人の生活や人生にとって、どういう意味があるのかというところまで考えて向き合ってほしい。私自身が自分の積極的な意志で、人工呼吸器やペースメーカーを選択できる状況になかっただけに、これからの人たちには是非こうした形での選択をしてもたいたいと強く願っている。